真剣勝負の挑み方

最近、右手首が腱鞘炎になった。恐らくキーボードおよびマウスの使いすぎが原因かと思われる(他に思い当たる原因がない)。そういえば、常日頃から腰や背中はコリまくっているし、肩や腕はいつでも重い。そんなわけで、一通り診てもらうべく同業者の紹介でカイロプラクティックとやらに「修理」に出してみた。

慣れた手つきで身体のあちこちを押され撫でられ揉まれ砕かれ、思わず声を上げたりしながら「デバッグ」が終わった。どうやら根本的な「作り直し」が必要らしく、今後も継続的に通うことになった。具体的には「バックボーン」に問題があるらしく、ここを集中的に「メンテナンス」していくことになるらしい。矯正枕という「パッチ」もあてがわれた。

SEとかプログラマーという「人種」によくありがちな症状だそうだが、改めてコンピュータ漬けの毎日を振り返るにつけ、今さらながら自分も「生」であることを痛感する。

さて、次回の予約を入れてもらって帰路に着いてからふと考えたのだが、カイロプラクティックに限らずこういった「予約」を取って仕事をしている人というのは、予約を受け入れた瞬間から自分の未来のある一点を束縛されることになる。「何月何日の何時から何時まで」という正確に限定されたタイミングに「自分」が必要とされる。逆に言えば、その時間が来るまでは必要とされることはない。日頃どんなにぐうたらに過ごしていても、そのタイミングだけ真剣勝負で仕事に挑むことができれば必要を全うできるわけで「本番に強い人」には打ってつけかも知れない。

もちろん、日頃の精進があってこそ瞬間の真剣勝負でスパークできるという考え方もあるだろうが、「日頃」と「瞬間」との間に因果関係を見いだす努力はペイしない。人は同じ体験をしても、うまく行った時は「成功体験」と称して怪気炎を上げ、うまく行かなかった時は「この失敗を教訓に」と自らを戒める。ところが「成功体験」は繰り返されず、「失敗の教訓」は活かされない、ことが多いことは周りを見回してみればよくわかる(だからこそ、誰にでもチャンスがあり、やりがいがある)。

一方、締め切りまでに求められる成果を上げることをコミットした上で仕事に取り組む、例えばライターのような仕事は、「予約仕事」と一見似てはいるがその実、非なるものである。

日頃どんなにぐうたらに過ごしていても誰からも文句をつけられないところは変わらないが、締め切り時点で求められるものを提供できていれば良いというところが決定的に違う。

締め切り日よりもずっと前に納品しても問題はない。気分が乗っているときや仕事が空いた暇なうちにさっさと原稿を仕上げてしまうこともできる。途中で風邪を引こうが旅行に行こうが、先に仕事が終わっていれば何も問題はない。「コミット仕事」の方が束縛はずっと少なく、真剣勝負を挑むタイミングは自分のコントロール下にある(だからこそ、現実逃避という甘美な誘惑が存在し、後日徹夜で苦労する)。

真剣勝負には大まかに言って2種類ある。「コミット仕事」が“我田引水”なら、「予約仕事」は差詰め“彼田放水”というところか。仕事はいかに“水”をコントロールするかにかかっている。自分がどちらの真剣勝負が得意なのかをわかっていなければ、どんなに自分の好きなことを仕事にしていたとしても、いずれ破綻がやってくる。


マイ・セオリー
何を身につける?
その壁は行く手を阻むのか、身を守るのか?
デバッグ
バックボーン
パッチ


「毎日のようにコンピュータに晒されている人は一度“デバッグ”してもらうのも悪くないかも」