反省の準備

先日、某銀行の通帳記入をしたら同一明細が2行印字されて返ってきた。二重引き落とし、である。

たいした額ではなかったし、残高にも余裕があったのでさして気にもとめなかったが、銀行の口座情報というのは絶対に信頼のおける、間違いのないものなのだ、という「思い込み」は早々に改めなければならないと痛感した。

よくよく考えてみれば、通帳に並んでいる数字もコンピュータシステムを介しているというだけで間接的ながら人が作ったものに過ぎない。入試問題や国会答弁や落丁乱丁と何ら変わらない。今まで間違いが起こらなかったのが不思議だとさえ思う。必然は偶然の積み重ね、である。

コンピュータは常に人の指示通りに正しく動く。今回の一連の騒動は「人災だった」とされているようだが、コンピュータの不具合というのは、結局のところ人の指示ミスに起因するものが大半なのであって、改めて「人災」と呼ぶのは少し違和感を覚える。

「想定されるテストと運用はすべてやった」という一言がすべてを物語っている。「想定できないことが起こったから仕方がない」という言い訳、あるいは言い逃れに聞こえる。「これが私たちが想定できるところの限界でした。これ以上は無理です。だから責めないで下さい」という自己弁護である。

人は経験によって前進するが、経験によって前に進めなくなることもある。例えば、成功体験は自信と勇気を与えてくれるが、同時に「思い込み」という重い(思い)鎧もついてくる。

行き当たりばったりにやっても、うまくいくことはある。しかし、うまくいかなかったときに、行き当たりばったりでは、なぜうまくいかなかったのかを検証することができない。「やっぱり、行き当たりばったりではいかんよね」と大雑把に反省するのが関の山である。これでは次に繋がらない。

反省するにも準備が要る。反省の実体は、自分の中の「思い込み」を改めることである。反省は結果に対して行うものだが、結果的に行うものではない。結果が出るまでの過程でその材料を拾い集めておく必要がある。

今、自分を支配している「思い込み」にはどんなものがあるだろうか。日々の「業務開始」の前に一通り点検しておいた方がいいかも知れない。


みずほのトラブルの原因に迫る!
準備の先にあるものは?
前に進むために
変わる前に変える


「かわいそうなのは一番上(責任者)と一番下(被管理者)。両者ともわけが分からず責任を追及されたり、文句を言われたり、徹夜を強いられたりする。真ん中(管理者)の人たちはわけがわかっている分だけ一歩リード」
「ここでも主導権争いが!」