今に気づく


二人は毎晩、チーズをおなかいっぱい食べてよたよたしながら家路につき、毎朝、自信満々で、きょうはもっとたくさん食べようと思いながらチーズのところに戻っていった。

こうした日々がかなりつづいた。やがて二人は慢心するようになった。安心しきって、知らないうちに何かが進行していることに気づきもしなかった。

スペンサー・ジョンソン著・門田美鈴訳
チーズはどこへ消えた?』(扶桑社 2000年)p.25


現状は昨日の成果ではなく、過去何年間かの努力の積み上げの結果。
現在の努力はすぐには芽が出ず、しかし遠くない未来に花開く。

現状は暗闇の中でスポットライトに照らされた、視界の乏しい場所。
過去も未来もすべて光の当たっている今を基準に考えざるを得ない。

過去に縛られる必要はないが、過ちを繰り返さないためには過去に学ぶ必要がある。

過去は何もしなければ何も語らない。自ら過去にアクセスしなければ過去のことはわからない。

過去へのアクセスは日に日に困難になる。それは日々新しい過去が古い過去の上に堆積していくからである。未来は今になり、今は過去になる。

未来に目を向けると、もう何もわからない。確実なことは1つもない。しかし、なぜか未来を基準に考えてしまう。マスコミがこぞって未来をかたる。大衆に従えば考えずに済む。

未来は到来するものではなく、到達するものである。