眠りと一貫性
一九七〇年代の前半にフランス軍が行なった調査でも、三日間睡眠をとらなくても兵士の戦闘能力は低下しないという結論が出されている。三日間一睡もしていない兵士でも、敵に面と向かえば、必ず立派に戦うであろうというのだ。しかし、その兵士に電波探知機を監視させておくと、なんとか目を開けていることができたとしても、意識は朦朧(もうろう)としていてレーダーの観測のほうは決してあてにできないだろう。
したがって、眠る時間を削ってでもやりたいと思うことがあれば、そしてそれが退屈なことや単調なことでなければ、睡眠時間を減らすのはいとも簡単だということになる。
減らすのは簡単だが、減らすと翌日は気分がすぐれなかったり仕事の能率が低くなったりする。重要な会議でも居眠りしてしまう。だからなるべくなら減らしたくない。好きなだけ眠りたいと考える。
しかし、短時間睡眠であっても翌日はスッキリ爽快でバリバリ仕事に取り組めることは少なくないし、たっぷり寝ていてもつまらん会議は眠くなる。
やりたいことがある時はもっと起きていたいと思うが、休日の朝はいつまででも寝ていたいと願う。
結局、思うようにならない。
関西にいた頃。夜道で出会った杜若寺という寺の外に掲げられていた言葉が思い出される。
夏になると冬がよいという
冬になると夏がよいという
狭い家に住めば広い家に住む人がうらやましいという
広い家に住めばこじんまりとした狭い家がよいという
独身の頃には早く結婚したいといい
結婚するとやはり独身時代が気楽だったという
それじゃどこにも幸福はあるまい
汝は自分勝手に不幸を作っているのだ
“喝”
人の心と体はリンクしているようでしていない。少なくとも一貫性はない。
一貫性は人が主体的に働きかけることで架けられる橋。
橋がなければ眠くなる。