新聞を読む意義はあるか?

新聞を読んでいて感じることはいろいろあるが、中でも「そんなのとっくに知ってる」とか「何を今さら大声で」といった感想を持つことが多い。

何で知っているかっていうと、テレビやラジオやWebを通じてほぼリアルタイムでニュースが伝えられているからで、それに接していれば明日の朝刊まで待たなくても例えば今日の株価の終値がわかる。考えてみれば13時時点のニュースしか載っていないのに「夕刊」と称するのはちょっと変だ。それを言うなら「昼刊」だろう、というツッコミもありだと思う。

なんだけど、新聞にも強みはある。まず第一に新聞は紙面がでかい。例えばWebの場合、パソコンのモニターはせいぜいA4程度だから新聞はパソコンモニターの4倍でかい(広げたら8倍でかい)。それだけでかいと一度に伝えられる情報量はおびただしい。はやり言葉で言えば「ブロードバンド」だ。さらに、単にニュースを伝えるだけにとどまらず、ニュースによって扱われ方に差がつけてあるので情報を相対的に俯瞰することができる。ただ、その「扱われ方」というのは発信側の恣意に左右される。ということは、多かれ少なかれコントロールされることを意味する。

ではWebはどうか。いちいち書くまでもなく新聞とは対極に位置していることから、新聞の強みがWebの弱みになり、弱みが強みになる。一度にたくさんは伝わらず、すべてのニュースがほぼ均等に扱われる。そこにコントロールの余地はない。でも読む側としても読む・読まないの選択をしている以上、自分自身の恣意によって構築されていく「世界観」や「価値観」にコントロールされていると見ることもできる。

どっちもどっち。とにかく何か1つだけに依存することはリスクを生む。


全体の完成度ではなく、部分の充実度の勝負になっている
整形と捨象の値段
バランスの値段
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