準備の先にあるものは?

理論があって「実戦」がある。完璧な(あるいはそれに限りなく近い)理論は存在し得ても、完璧な「実戦」はあり得ない。「実戦」は常に偶然をはらみ、不測の事態を引き起こす。それがプラスになることであれ、マイナスになることであれ、準備の範囲の外にある。

失敗の教訓から学べることは、プラスは外へ、マイナスは中へ、という姿勢である。援軍に期待せず、内乱を警戒する。援軍は来ないのだ、という前提における援軍が「援軍」であり、内乱など起こるはずがない、という希望的観測下で勃発する内乱が「内乱」である。

「援軍」にしても「内乱」にしても、それは「実戦」モードにならないと有効にならない。火災が起きたときに閉まるシャッターは、火災が起きたときには閉まるものだ、という期待によって「援軍」になる。閉まらなかったときに「内乱」がやってくる。「閉まらなかった場合」を想像できる人が失敗から学んだ人であり、準備の範囲が人より広い。しかし、いくら広げていっても、準備は準備の範囲にとどまる。

どんなに鍛錬しても、準備が上手くできるようになる以上の上達はない。


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