追い出されるのか、逃げられるのか?


厚生労働省文部科学省の調査によれば、10月1日現在、高校生の就職内定率は37%と、調査開始の87年以来、最低であった。求人数も、前年同期に比べ10%減少した。高卒就職の厳しさは、実際の進路にも現れ、今年3月の高卒者のうち、進学も就職もしない「無学者」は13万人、全卒業者のおよそ一割を占めた。不況の影響が、高卒就職を直撃している。
日本経済新聞 2001年12月1日・朝刊「急増する高卒無業者 『構造的失業』、対策が急務」


受験を控えた高校生の立場は、就職活動中の大学生、あるいは転職を考えているビジネスパーソンのそれに似ているかも知れない。いずれも人生の岐路である。

10年前に同じ立場にあった当時を思い起こすと、大学に行くのが当たり前であり、それ以外の選択肢は考えられなかった。大学に行くことが「正道」であり、それ以外はすべて「邪道」である、とさえ認識されていたのではないだろうか。

もちろん、10年たった今でもそれほど状況は変わっていないとは思うが、(特に日本の)大学に行く以外の道も「あり」になりつつあることは確かだと思う。大学に入って出たからと言って、本人に何らかの目的意識がなければ「大卒」という資格以外に得られるものは何もない。

一般的に言って資格は社会的な力であり、それを認めてくれる相手がいなければ無力である。特に、手段はどうあれ単位さえ取得できれば得られてしまう資格にどれほどの価値があるのだろうか。自分を覆う入れ物に多少のハクはつくかも知れないが、肝心の中身が何も変わらないのではお金と時間がもったいない。当然、そのような資格であれば相手にすぐに見抜かれる。

同じお金と時間を使うなら自分の外ではなく中に蓄積できるようなものを追求した方がいい。それは簡単には見つからないかも知れない。加えて、人と違うことをすることは勇気が要る。しかし、それらを押してでもやろうという意志があれば、道は拓ける。もちろん、追い求めるものが大学の中にあれば、大学に行けばいい。

10年前なら決められたルートに沿っていれば乗り換えなしでスムーズに行けたのに、今や自分で判断しつつ状況に合わせて最適な乗り換えをしていかなければ目的地にたどり着けなくなっている。ルートもなければレールもない。

むしろ、ルートやレールがあるからいけないのかも知れない。ペイオフにちなんで、1つの会社で一定期間以上の雇用は保証しないということになったりしたら、個人は自己のキャリアアップに真剣になるかも知れない。優秀な正社員の存在は経営者にとってみれば実にありがたいものだが、その正社員が一定期間たつとFA制度のようなものを使ってひらひらと他企業に逃げていくとしたら、経営者は自社の魅力アップに真剣になるかも知れない。