その心地よさは本物か?

引きこもりだった兄は「社会」復帰し、妹は「日本」を脱し、母親は「自分」の生き方を模索し、リストラされた父親は「故郷」に帰って第二の人生を歩み始めた。

自分の強さを誇示することはたやすいが、自分の弱さを露呈するには勇気が要る。強さは孤独を生き抜き、弱さは馴れ合いの中で朽ちる。「社会」には求める答えはなく、「日本」を出ない限り自国を知る術はなく、「自分」がやりたいことの原点は、自分の「故郷」にある。

人は、自分ができないことを他人もできない、という事実を知って安心する。できなくてもいい、という心地よさは「ありたい自分」から遠ざかる後ろめたさを掻き消して余りある。

フィクションであっても現実からかけ離れ過ぎれば、リアリティが失われ、色褪せていく。逆に虚構性が失われると、オーディエンスの入り込む余地がなくなり、味も香りも薄くなる。両者のバランスはあり得ず、常に揺れる。揺さぶられる。その過程に「ドキリ」がある。

リアリティーはディテールであり、バーチャルはアバウトである。何もしなくてもヘッドセットを付ければ引き込まれるバーチャルと違い、細部にわたって意図的・徹底的にこだわるリアリティーは現実を直視する強い意志を必要とする。

現実を直視することから逃れる術が今の世の中にはあふれている。


現実を直視しようとしている
リアルなアイドルはもはやアイドルではない
最後の家族(テレビ朝日)