なぜ「学習」するのか?


L E A R N E R / 学 習 欲

あなたは学ぶことが大好きです。あなたが最も関心を持つテーマは、あなたのほかの資質や経験によって決まりますが、それがなんであれ、あなたはいつも学ぶ「プロセス」に心を惹かれます。内容や結果よりもプロセスこそが、あなたにとっては刺激的なのです。あなたは何も知らない状態から能力を備えた状態に、着実で計画的なプロセスを経て移行することで活気づけられます。最初にいくつかの事実に接することでぞくぞくし、早い段階で学んだことを復誦し練習する努力をし、スキルを習得するにつれ自信が強まる──これがあなたの心を惹きつける学習プロセスです。

あなたの意欲の高まりは、あなたに社会人学習──外国語、ヨガ、大学院など──への参加を促すようになります。それは、短期プロジェクトへの取り組みを依頼されて、短期間でたくさんの新しいことを学ぶことが求められ、そしてすぐにまた次の新しいプロジェクトに取り組んでいく必要のあるような、活気にあふれた職場環境の中で力を発揮します。

この「学習欲」という資質は、必ずしもあなたがその分野の専門家になろうとしているとか、専門的あるいは学術的な資格に伴う尊敬の念を求めていることを意味するわけではありません。学習の成果は、「学習のプロセス」ほど重要ではないのです。

マーカス・バッキンガム、ドナルド・O.クリフトン著/田口俊樹訳
さぁ、才能に目覚めよう』(日本経済新聞社) p.103


学習することは気づくことだと思う。しかし、行動と気づきとの間には規則性はない。何をすれば何に気づくのかの定式は規定できない。むしろ偶然の手順が習慣になり、知恵として純化するというプロセスを辿る。

3つ目の資質は「学習欲」だった。当たっているところもあるがピンと来ない部分もある。

「走り書き」は、全体が見えないジグソーパズルに似ている。特にテーマがあるわけではなく、頭の中から出てくる1つ1つのピースを毎日目に見える形にひたすら変換していく。頭に浮かんだイメージを言葉の大きさに切り出していく。

全貌は常に一定ではなく、1つ1つのピースによって大きく左右されることがある。上下を逆さまにしたり、一見関連性のない部分同士をつなぎ合わせたりしながら、新しいパターンを見いだしていく。

人は気づこうと思って「気づく」のではなく、ふと気づくと「気づいている」ものである。学習のプロセスは自分がまだ気づいていないことに気づくことをひたすら繰り返すことだと思う。気づいたら、気づいていた自分に気づくことが新しい気づきを生む。

今日は何に気づくだろうか。


ゼネラルなスペシャリストになる
ないことに気づく
今に気づく

「スパイならたとえ気づいていても気づいていない振りもできないといけない」
「気づいていない振りをしている自分に気づかないくらいでないと相手に悟られてしまう」
「それって、気づいていないのに気づいた振りをしているのとほとんど変わらないような気がする…」