外見を評価されたいのか、内面で判断されたいのか?


みすぼらしいなりは、なるべくしない。経済的に多少ムリをしても、服装にはお金をかける。当人としては、ブランド志向はないのだが、マネーアドバイザーという職業柄が、あまり貧乏たらしくしていては、説得力に欠け、商売上差し障りがある。

そうでなくても、大企業の看板なしに、自分ひとりの信用でもって、仕事をとってこなければならない。「人は見た目で判断せよ」との「常識」がどこまでまかり通っているかは知らないが、スーツにしても、仕立てがよく高級感のあるのを着ているほうが、何かとスムーズにいくことを、経験した。

日本経済新聞 2001年10月15日・夕刊


人は見かけにだまされる。でもネット上では「見かけだまし」が通用しない。容姿や外見よりも先に、思考や感情が出会ってしまう。自分の見せたい部分だけを見せて、見せたくない部分は隠すことができる。やろうと思えば、自分にない部分を作ることもできる。外見に邪魔されない分、フラットに相手に対することができるような気もするが、交わす言葉は完璧な意思疎通までは担保できない。

たとえ不完全な手段だと分かっていたとしても、求めているのは、自分のことなど何も知らない見ず知らずの人よりも、わずかでもいいから自分のことをわかってくれている人にかけてもらう言葉。

他人のことは外見で判断するのに、自分のことになると内面を見て欲しいと願う。


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