コンピュータは信頼できるか?


一番良いポーズをとって、自分の弱いところを見せないという自然な技術は、この世の中に生き残るために人間には必要欠くべからざる類の盾であると思う。カメラを見た途端に思わずベストなポーズをとる態度は、人間の無邪気な自己防衛本能であるといえよう。それがいけない仮面だとすれば、全人類は失格になることであろうし、それは皆がお互いによくわかっている態度なのでこの点には問題はないと思う。

そしてまた、お互いのプライバシーを守るのも悪い仮面ではないと思う。自分のプライバシーまで告白しなくても、信頼関係は十分保たれるものである。もちろん、プライバシーにもほどがあるから、自分の心の動きをほとんど打ち明けてあげないのは、確かにおかしな信頼関係であろう。しかし、言ってもいいが言わなくてもいいプライバシーは互いに尊重し合う必要があると思う。

ハビエル・ガラルダ著 『自己愛とエゴイズム』(講談社) p.135


例えば、オンライン書店は24時間いつ行っても開いている。家にいながらにして本を探して購入することができる。店員に(目の前に立っている人間がどんな本を買うかという)プライバシーを覗かれることもない。でも、それは言うまでもなく錯覚。

従来のリアルな本屋であれば、開店時間があり、営業時間があり、閉店時間がある。リアルな店員がいて、客のあいまいな「検索条件」でも誠意を持って本を探してくれる。客がどんな本を買ったかは店主の頭にインプットされる。でも、客と店主の間には根拠なき暗黙の信頼関係があるから、店主が別の人間に「あのお客さんは××という本が好きらしい」といったようなことを口外しないだろう、と客は思っているし、実際口外はしないだろう。

行きつけの古本屋に行くと「まいど! ○○の新しいの入ってるヨ!」なんて言われたりするかも知れないが、こういった何気ない言動であっても、その店主は客を選んでいる。

一方、オンライン書店では店主や店員の姿が見えない。画面の向こうでどんな人が働いているのかわからない。そして「××市に住んでいるAという客が何月何日に△△という本を買った」というような正確で詳細な情報がコンピュータにインプットされ、消さない限り残り続ける。人の記憶のように一部が抜け落ちたり勘違いしたりといったことは一切無い。コンピュータの中には無数の人々のプライバシーが整然と保存されている。専門知識があれば保存されている情報を盗み見ることは不可能ではない。少なくとも、人の頭の中から情報を盗むよりはたやすい。

コンピュータは、人を選ばない。手続きさえ正しければ誰にでも機密を口外する。


インタフェースに問題がある
客のことを知り尽くしていること