眠りと一貫性


一九七〇年代の前半にフランス軍が行なった調査でも、三日間睡眠をとらなくても兵士の戦闘能力は低下しないという結論が出されている。三日間一睡もしていない兵士でも、敵に面と向かえば、必ず立派に戦うであろうというのだ。

しかし、その兵士に電波探知機を監視させておくと、なんとか目を開けていることができたとしても、意識は朦朧(もうろう)としていてレーダーの観測のほうは決してあてにできないだろう。

したがって、眠る時間を削ってでもやりたいと思うことがあれば、そしてそれが退屈なことや単調なことでなければ、睡眠時間を減らすのはいとも簡単だということになる。

エベレット・マットリン著・竹村健一
眠りを減らせ!』(三笠書房 1989年)p.120


減らすのは簡単だが、減らすと翌日は気分がすぐれなかったり仕事の能率が低くなったりする。重要な会議でも居眠りしてしまう。だからなるべくなら減らしたくない。好きなだけ眠りたいと考える。

しかし、短時間睡眠であっても翌日はスッキリ爽快でバリバリ仕事に取り組めることは少なくないし、たっぷり寝ていてもつまらん会議は眠くなる。

やりたいことがある時はもっと起きていたいと思うが、休日の朝はいつまででも寝ていたいと願う。

結局、思うようにならない。

関西にいた頃。夜道で出会った杜若寺という寺の外に掲げられていた言葉が思い出される。


夏になると冬がよいという
冬になると夏がよいという
狭い家に住めば広い家に住む人がうらやましいという
広い家に住めばこじんまりとした狭い家がよいという
独身の頃には早く結婚したいといい
結婚するとやはり独身時代が気楽だったという
それじゃどこにも幸福はあるまい
汝は自分勝手に不幸を作っているのだ
“喝”

人の心と体はリンクしているようでしていない。少なくとも一貫性はない。
一貫性は人が主体的に働きかけることで架けられる橋。

橋がなければ眠くなる。

「不」規則正しく生きる


それで昨日寝たのは午前2時で今日は朝7時半から仕事をしている。1日に寝るのは長くて5時間まで。週に1度か10日に1度は必ず徹夜して作品を仕上げるとますます気力が出てきて愉快になる。生産的な仕事をしているからストレスにならないんですよ。(…中略…)

ルネ・デュボスというフランス人の微生物学者が『人間と適応』という本の中で「健康な状態とか、病気の状態というものは、環境からの挑戦に適応しようと対処する努力に、生物が成功したか失敗したかの表現である」と記しています。(…中略…)

規則正しくバランスを取って箱入り娘になるよりも、不規則な方が適応力がつくということですよ。

日経ビジネス・2001年2月19日号 p.87
日野原重明氏(聖路加国際病院理事長;89歳)インタビュー
※引用部分は日野原氏のことば


今から何十万年か何百万年か前のこと。

人は強かった。

雨が降っていて狩りに出られない日もあれば
狩りに行っても何の収穫もない日もあっただろう。

食事は毎日ばらばらの時間に様々なものを食べる。
木の皮や草の根、何もなければ土さえも口にしていたかも知れない。
ひたすら生きるために食う毎日。

コンビニもお風呂も散髪もウォシュレットもない。
寿命は短かったが、文字通り生々しく生きていたに違いない。

強さは不足の中で養われるものだと思う。

足らざるところ不断の努力あり。
満ち足りるところ油断と不覚あり。

常に風雪にさらされていれば、
眠りこけている潜在能力が目を覚ます。

やっぱ生でしょう


中央分離帯の植え込みでゴミを集めてみた。一平方メートルだけで、約5キロが集まった。内訳はジュース類の空き缶42個、カップラーメンの容器2個、プラスチック製の弁当箱8個、週刊誌3冊、バナナとミカンの皮2つずつ、清涼飲料水のビン2本、自動車用のヒューズ、汚れたちり紙、荷物の送り先の地図、メモ、吸い取った髪の毛やほこりが入った電気掃除機の袋が一つ・・・・

ただ「ゴミが多かった」では臨場感がない。事実の描写で文章は活気づく。現場の細密描写。現場での自分の体験を細密に見つめ、それをきちんと書く。現場では心を白紙にして、あるがままの姿を観察する。


実際に体験していないことを生々しく語ることはできない。

本の中にある静的な知識は、人の想像力をかき立てるが、刻々と変化するダイナミックな現実は、人を行動に駆り立てる。

今に気づく


二人は毎晩、チーズをおなかいっぱい食べてよたよたしながら家路につき、毎朝、自信満々で、きょうはもっとたくさん食べようと思いながらチーズのところに戻っていった。

こうした日々がかなりつづいた。やがて二人は慢心するようになった。安心しきって、知らないうちに何かが進行していることに気づきもしなかった。

スペンサー・ジョンソン著・門田美鈴訳
チーズはどこへ消えた?』(扶桑社 2000年)p.25


現状は昨日の成果ではなく、過去何年間かの努力の積み上げの結果。
現在の努力はすぐには芽が出ず、しかし遠くない未来に花開く。

現状は暗闇の中でスポットライトに照らされた、視界の乏しい場所。
過去も未来もすべて光の当たっている今を基準に考えざるを得ない。

過去に縛られる必要はないが、過ちを繰り返さないためには過去に学ぶ必要がある。

過去は何もしなければ何も語らない。自ら過去にアクセスしなければ過去のことはわからない。

過去へのアクセスは日に日に困難になる。それは日々新しい過去が古い過去の上に堆積していくからである。未来は今になり、今は過去になる。

未来に目を向けると、もう何もわからない。確実なことは1つもない。しかし、なぜか未来を基準に考えてしまう。マスコミがこぞって未来をかたる。大衆に従えば考えずに済む。

未来は到来するものではなく、到達するものである。

すきま


まず、自社にとってのアウトソーシングの価値を見極めることが重要である。アウトソーシングの目的は、企業により異なる。「コスト削減」「本業へのリソース集中」「先進技術獲得」など、自社がアウトソーシングに求める価値を明確に定義すべきであり、この価値評価基準の策定は、最高情報責任者(CIO)を中心とするタスクフォースを編成して実施する。
日経ビジネス 2001年2月19日号「アウトソーシングに潜む4つの罠」p.181


マニュアルを作る人はたくさんいる。ソフトウェアのマニュアルに限定しても、まだたくさんいる。そこで、発注側の立場を考慮に入れると、だいぶ減る。

今回の発注元の担当者はきわめて多忙。昼間は顧客対応などで時間が取れないので、夜の時間にマニュアルに関する打ち合わせなどで来てもらえた方がありがたい、という。

「(人材紹介会社などで)そういう条件で人を探すのは難しい」のだそうだ。

自分としても夜しか時間がないので都合がよかった。

対極

結婚式はつつがなくお開き。
京都で一仕事ののち、二条で待ち合わせて
久々に学生時代の友人に会う。

嵐山へ。

ともに保津川ほとりを歩き、閑散とした亀山公園を散策する。
彼は3年前に大阪で結婚。その晴れ姿は今でも印象深い。

そして、始まりがあれば終わりがある。

彼にとって、それはあまりにも早すぎた。


人間の好みや意見は移ろいやすい。今日ある事を決断しても、明日には全く別のことに関心が向かい、昨日の決定を容易にくつがえしてしまうことがある。

個人差はあるが、概して人間の自己規律の能力は完璧にはほど遠い。

日本経済新聞 2001年2月23日・朝刊「個人の自己統治を礎に」


きょうは一方で始まりを祝い、他方で終わりを知ることになった。

保津川の流れは大堰(おおい)川に通じ、さらに桂川にその姿を変える。
流れは連綿と続く。

川面(かわも)のさざ波はうねりとなって下流に運ばれる。
変化の流れに呑まれることなく己の櫓(ろ)を漕ぎ続けることは容易では
ない。

だからといって漕ぎ出さないことには何も始まらないのではあるが。

現在地を知る

京都駅から地下鉄に乗って今出川へ。旧友が予約しておいてくれたホテルへ向かう。ホテルの名前と今出川から徒歩5分という以外の情報は聞いていなかった。

目に付いたコンビニに入り、京都府の地図を手に取る。今出川駅周辺のページを開くと、ちょうど現在いるコンビニと目的地のホテルの両方が載っていた。

そういえば、かつて大阪に住んでいた頃、休日になると自転車で遠出をしていた。道に迷うと手近のコンビニに入り、地図を立ち読みして、現在地を確認。

地図にはコンビニもランドマークとして掲載されているので入ったコンビニの支店名(○○何丁目店など)を手がかりに現在地を知ることができる。

自分の現在地を知ることなくしてゴールには辿り着けない。

明日は会社員時代の同期の結婚式。


Marriage is not a word, but a sentence. -- King Vigor
「結婚は単語ではなく文章(宣告)だ」


宣告を受け、彼は次なるゴールを目指して再出発する。